しゃきっとまっすぐ生きた「じじ」
今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」
私の記憶には母方の祖父がひとり、パパ、ママの家庭だったので、 じじ、と呼んでいました。
覚えている祖父の姿は、少し話し掛けづらくて、かんしゃく持ち。夏休みなどに祖父母の家に行くと、祖父の部屋の机を借りて塾の宿題などをやっていたので、じじを思い出すと、少しほこりっぽく独特な匂いがふっと蘇ります。
若い頃の写真をみると、あの世代にしてはすらっと長身で、九州生まれのせいか少し南国風の濃い顔立ちで結構ハンサム。戦後すぐに防衛庁で土木関係の仕事をしていたので、日本全国の飛行場の開設工事をしていたとか。
飛行場の滑走路はまっすぐ直線。それに関係のしてなのか分かりませんが、とにかく「しゃきっとまっすぐ」が大好きだったじじ。リタイアしてから楽しんでいた園芸で育てた胡蝶蘭やバラも、みんなそろって、しゃきっと添え木にくくりつけられ、まっすぐ並んでいました。家系図作りに凝ったときも、研究結果で送られてきた大量の資料には定規で赤線が引かれて真っ赤に。性格も頑固で、これと決めたらてこでも動かない状況で、同じく頑固な母とよくぶつかっていました。
数年前に亡くなった祖父のお墓は、小さな飛行場のすぐそばにあります。毎日、飛行機が飛び立つのを眺めているかな。